本日は拡張パック初日なのですが、ログインする事はありませんでした。今日一日だけは、どうしてもゲームで遊ぶ気になれなかったからです。

 そういう訳で、今日はDOLとは全く関係無い事を記してみようと思います。
 完全にプライベートな事柄です。まあ、普段書いている内容にもさして公的な意味などありませんが。

 それでも書いてみようと思ったのは、文章を書く事で自分の気持ちを落ち着かせたかったのと、同じような経験をした方に読んで頂いて、よければ体験談をお聞きしたいと思ったからです。
 そして何よりも、思い出を記録しておきたかったという事が一番です。

 内容は随分湿っぽいものです。また、長文でもあります。そういう話がお好きで無い方は、スルーして下さい。







 今日、我が家の飼い猫が逝ってしまいました。15年間、色んな思い出をくれた大切な家族でした。
 死因は腎不全とそれによって併発した多臓器不全です。老境に入ってから泌尿器系の調子が悪かったのですが、とうとう命を維持する事が出来なくなるまで悪化してしまったのです。

 猫という生き物は中々自分の体調を表に出しません。ですから、それが表面に現れるまでになった時は、もう随分悪くなっている場合が多いようです。
 五日程前、急に食事を取らなくなり、水を飲んでも吐き、と様子がおかしくなりました。慌てて病院に連れて行き、獣医さんには懸命の治療を頂いたのですが、残念ながら手遅れでした。
 もっと早くに気が付いておれば、と後悔があります。しかし同時に、生き死にだけは運命としか言いようが無い、という諦めもあります。複雑な心境です。

 彼が我が家にやって来たのは、捨て猫としてでした。それも普通のそれではなく、彼は「我が家へ捨てられた」のです。
 よくある捨て猫というのは、公園の一隅であるとか、住宅街の空き地であるとか、そういう不特定多数の人を狙った場所に捨てられる事が多いようです。しかし彼は、我が家の玄関前に植わっている松の木の葉の上に、ある日、布切れに包まれて置かれていたのです。まだ目も開いていない、生まれたての状態でした。
 当時はこういう捨て方をした人間に呆れを感じたものです。しかしそれ以降、彼は我が家の一員となり、マスコットとして癒しを私達に与えてくれるようになりました。今ではどこの誰かわかりませんが、家族を増やしてくれた事に、むしろ感謝しています。

 彼は非常に野性があるというのか、気性の激しい奴でして、ちょっとじゃれあっただけでもすぐに興奮の度合いがあがり、噛まれたり引っ掻かれたりはしょっちゅうでした。今も私の手足には、その傷跡がいくつか白く残っています。
 また、猫らしく気まぐれで、時々見せる甘えのしぐさはたまらなくいとおしいものでした。足元に擦り寄ってきたり、私が寝ている布団の中に、何時の間にか潜り込んできて一緒に寝たり、そういう事が思い出されます。

 一度彼は死にかけた事があります。正確にはわかりませんが、どうやら交通事故にあったらしいのです。何とか自力で家にまで戻ってきましたが、玄関で力尽きて瀕死の状態です。その時の彼を見た家族全員の顔が青くなりました。
 病院の方の適切な処置のお陰で何とか命をとりとめ、今度は皆が胸をなでおろしました。安堵感で足が崩れそうになったのを覚えています。
 彼は非常に強い生命力と運に恵まれていたのでしょう。今回もその事に期待したのですが・・・。

 彼には同族の付き合いはなかったようです。他の猫は、彼のテリトリーを脅かす敵であったのでしょう。よく喧嘩をしておりました。
 物心ついた時から彼の周りにいて世話をしてくれるのは人間しかおりませんでしたから、ひょっとしたら彼は自分と我々とを同一視していたのかもしれません。同じ種族の友人がいなかったのも、その為かもしれないと推測しています。

 彼は卵や乳製品が好きでした。特にプリンが大好物でして、時々ひとかけら与えてやりますと、すぐに平らげて、もっと欲しいと私を見上げておりました。
 最後にもう一度プリンを食べさせてやりたかったのですが、それは叶いませんでした。もう食べ物を受付けなくなっていたのです。

 キリがありませんが、本当に色んな事が思い出されます。沢山写真も残っています。しかし、それらがもうこれ以上増える事はありません。そう思うと、何とも言えない気持ちになります。
 実は今、彼は私の目の届く所に横たわっています。姿と顔だけを見れば、まるで眠っているように見えます。生前の彼は、寝ている時も夢でも見ているのか、時折ゴロゴロの喉を鳴らしたり、手足をぴくぴくと震わせたり、微笑ましい所を見せてくれました。しかし今は、寝息で胸を上下させる事もなく、ただ静かに目を閉じているだけです。
 この姿が、彼の最後の思い出となるのです。明日葬る事になっていますから、今日で最後なのです。

 彼には色んな言葉を掛けてきました。逝ってしまったこれからも、掛け続けるかもしれません。そして今はこう言ってやろうと思います。

「お前は本当に、最高に可愛い奴だった」

と。

 最後に、今までの人生で最高の感謝と祈りを込めて。
 我が愛猫の魂よ、安らかなれ。

コメント

nophoto
ポル人
2006年8月30日23:43

きっと天国でありがとうって言ってると思いますよ。
辛いでしょうけど乗り越えてくださいね。悲しむ姿は
きっと見たくないでしょうから・・。

nophoto
ニックネーム無し
2006年8月30日23:56

猫大好き人間の一人として、鄭和さんの猫のご冥福をお祈りしますです ・゜・(ノ∀`)・゜・

そんなに愛されて、きっと幸せだったと思いますよ ・゜・(ノ∀`)・゜・

うちも飼い猫(もと捨て猫)が死んでいるので、気持ちはよく分かります・・・・・

nophoto
ニックネーム無し
2006年8月31日0:47

うちには14歳のねこがいます。
ペットっていうより一緒に生きてきました。
なんていうか・・・

せめて祈りましょう。

nophoto
ニックネーム無し
2006年8月31日0:50

ご心中 お察し申し上げます
さぞ悲しみに包まれているでしょう
今日一日は愛猫のご冥福をお祈りしてあげてください。

nophoto
まからいと
2006年8月31日1:14

私の所は犬でしたが13歳の老衰で
同じ経験をした記憶があります。
実家から連絡を聞いて 急いで深夜帰郷したときには
息も絶え絶えでしたが私が傍に居ると解るらしく反応して
くれました。
翌日の朝は迎えられず 死後硬直した体に
幼少から触れてきた感触の違いが
もうこの四肢が動いてくれない事を認識させてくれました

私の手で庭のさくらんぼの木に
埋めてやりました その時の気持ちは正直辛いモノでしたが今の私にとっていままで過ごした時と同様に
とても大切なものを与えてくれた気がします。 
私と家族はふさわしい飼い主だったか?
犬(雌なので彼女)は幸せだったのか?
今でも自問する時があります。

湿っぽく長文ですいませんちょっと拝見して思い出したので

nophoto
ポルの子
2006年8月31日1:32

あたしも、11年間を共にした猫を見送ったことがあります。

鄭和さんの愛猫と同じく突然の多臓器不全で亡くなったのですけれど
「なぜあの時もっと早く」とずっと何日も自分を責めていました。
そういうものなんですよね。無償の愛ですから。
どんな亡くなり方をしても後悔はつきまとうと思います。
でも、悲しみよりも出会えた喜びのほうが
どんどん大きくなっていきますよ。
亡くなって数年たつ今でもあたしにとってはずっと可愛い子です。

早く元気になられますように。
そして鄭和さんの愛猫が安らかに土に還りますように。

nophoto
Z鯖のイスパ商人
2006年8月31日7:06

家にも10年になる猫がいます。
彼女も捨て猫で、今に至るまで様々な思い出を積み重ねて参りました大切な存在です。
ここ数年は老化の影響か、以前のように跳ね回ることは無くなってしまい、お前も歳だなぁ……などと感じさせるようになりました。

色々と共感するところがあって、他人事とは思えませんでした。心から御冥福をお祈り致します。

たまには、健康診断にでも連れて行ってあげるかなぁ……。

goodbye
goodbye
2006年8月31日7:17

わたしも幼い頃から一緒だった猫を昨年亡くしました。
最期の日、もう老年であまり動かなくなった彼が珍しくわたしの部屋に入ってきて、出かける準備をしていたわたしをじーっと見上げていたんですね。友人と待ち合わせのあったわたしは彼と軽く目を合わせて行ってくるねと挨拶したんですが、それが最期の別れの挨拶になってしまいました。獣医のもとから彼が冷たいからだとなって帰ってきた夜は、日が明るくなるまでずっと眠れずそばにいました。いざ亡くしてしまうと、あのときあんなあんな怒らなければよかったとか、もっとあれしてあげればよかったとか、いろんな思いが駆け巡るものですよね。

19年を共に過ごしましたから、わたしの場合はいまでも時折、家具の裏などからひょこんと姿を現して体をなすりつけてきそうな気がします。いま身に染みて思うのは、それだけの時間を一緒に過ごしてくれたことへの感謝の気持ちです。毎日の生活を淡々と、けれどもいつもより少し意識的にこなしてくことが気持ちを落ち着ける一番のやり方かもしれません。ご冥福をお祈りします。

goodbye
goodbye
2006年8月31日7:29

追) なにかの一助になれば。ご存知かもしれませんけれど↓
http://www5.ocn.ne.jp/~select/Rainbow.html

nophoto
みゃ
2006年8月31日9:23

同じ猫好き、猫飼いとして御冥福をお祈りします。

nophoto
フェルマー=ディック
2006年8月31日10:07

 人生の中で、いくつもの出会いと別れがあり、その中の一つと割り切ろうとしながら思い出を胸に誰もが生きていく。
 私自身も今まで愛犬との別れを3度経験して4度目の愛犬と出会って11年目の今に至っていますし、それ以上に両親とも死別して今を生きています。
 心にできた空虚や痛みは、やがて時が心を癒してくれる反面、声とかはどんどんと記憶から薄れていく寂寥感に、偶には涙することもあります。
 でも、今生きている自分達は、前を向いていかなければなりません。そうして何度も心を奮わせてきました。
 鄭和氏に「お金で買えない」思い出を与えてくれた愛猫のご冥福をお祈りいたします。

nophoto
ネコ飼ってます
2006年8月31日10:37

私も飼っていた動物を亡くした経験があります。
もう10年以上前のことですが、今でも家族と思い出話を
したりします。
そんなとき、もちろん、今目の前にはいないのですけれど
一緒の時間を生きて来たんだなあって
ちゃんと心の中に生きているんだなあって
確かに思うのです。

ねこさん、愛情の深い人に飼ってもらえて幸せだったね。
ゆっくりおやすみなさい。。

nophoto
イング軍人
2006年8月31日10:47

貰い泣きしてしまいました(ノД`) 亡くなった鄭和さんの愛猫に心から御冥福をお祈り申し上げます。

nophoto
pepe
2006年8月31日11:10

みなさんも仰ってますが、鄭和さんのネコさんは幸せだったと思います。
15年も生きて、自分が人間だと思ってるネコさんは、ネコマタになって帰ってくるかもしれませんね。
たとえ無理でも、思い出と魂はいつも鄭和さんのそばにいます。
ねこさん、どうぞ安らかに眠ってください。

私もネコは事情で飼えませんでしたが、犬鳥ウサギetcと
色々離別してまいりました。
その度に悲嘆していたものですから、とうとう我が家は
pet家族禁止になってしまいました。
早く元気になった姿をねこさんに見せてあげてくださいね。

nophoto
サージロン
2006年8月31日13:56

15年間、楽しかったです。ありがとう^^ノ

と、猫ちゃんは言っていますよ^^。

nophoto
英国人
2006年8月31日14:26

自分も猫飼っています。
もうそろそろ5歳になる頃だと思いますが、どんどん愛らしくなっていきます。
この文章を読んで思わず胸がいっぱいになりました。

安らかなれ

nophoto
はいえーす
2006年8月31日15:55

鄭和さんの猫のご冥福をお祈りいたします。
家族の一員としての猫さんとの日常が伝わる文章に
別れのつらさを感じずにはいられません。
一日も早く鄭和さんが元気になられ
「鄭和」の文字に((;゜Д゜)ガクガクブルブルしながらの
ゲームができる日を楽しみに待っております。

nophoto
とある英国人
2006年8月31日17:26

うちにもネコがいます。自分が子供の頃から必ず何匹かはネコがいて、亡くなってもすぐに違うネコが寄ってきます。
ペットではなくて家族として一緒に住んでいる感じです。
今ではネコが我が一族の守り神のようになっています。

ご冥福をお祈りします。

nophoto
N鯖 MAX
2006年8月31日18:52

うちは5年ほど前に若くして逝きましたが、きっと幸せだったと思いますようちのも鄭和さの所も。

心からご冥福をお祈りします。

nophoto
旗違い私掠仲間
2006年8月31日22:32

気持ちわかりますよ
ひとついえるのは、大事にしてた、愛してたからこそある悲しみだってことです。

悲しみの分だけ愛情があったわけで、つらさってのは自分が一番感じるものなわけじゃないですか?
だからそれだけ愛していたんだと、去っていった者に言えるわけでもないですけど・・・・

なんて言うか、胸張って欲しいです。
その彼がきっと最初から最期まで一緒にいられたことを誇りに思ってたに違いないと。
そう思って欲しいです。

読んで思い出に火がついてしまって・・・
号泣しながら取り留めなく書いてしまいましたよw

あと、いつも襲ってまいどって言って去っていく人の中の人の感情を垣間見られたのは貴重でしたw

また海で会いましょう

鄭和
鄭和
2006年8月31日23:07

多くのお悔やみの言葉を下さった皆さん、本当にありがとうございます。大変元気づけられました。特に、同じ様に猫を失われた方のお言葉が嬉しかったです。別れた事の悲しさと、それを乗り越え立ち直られたであろう事とが感じられて、大変な励みとなりました。

今日、彼を火葬致しました。私は事情により立ち会えなかったのですが、自宅に戻って来た彼の横に、若く元気だった頃の彼の写真を飾って、手を合わせてやりました。

その写真を見ながら思ったのは、失われた事による悲しみは耐えがたく巨大なのですが、彼がくれた喜びはそれをはるかに上回るものであったという事です。
そう思えた時、少し気持ちを落ち着かせる事が出来ました。皆さんの励ましがきっかけの思いであった事は言うまでもありません。重ねて御礼申し上げます。

DOLについては、明日から復帰させてもらいます。勿論海賊としてです。何かと難易度が上がっているようですが、挑戦してみるつもりです。
海で出会ったなら、敵味方問わず「まいど海賊」をまたよろしくお願い致します。

nophoto
通りすがり
2006年9月1日1:04

普通猫は死に際を察すると、いなくなるものです。

私の猫は道路の脇で泡を吹いて死んでいました。「外に出していなければ・・」「その日ずっと一緒に居れたなら」とめどない後悔が押し寄せてきました。

朝まで元気に低位置のストーブの前でぬくぬくしていました。「それなのになぜ・・・?」

くるんとまぁるくなってまるで寝ているかの様に、箱の中に居ました。いつもの感触でいつもの寝顔。

受け入れるのには時間がかかりました。

今でも隣に居るようです。

隣に居なくなっても、「ごはん」をネダルその顔をいつまでも忘れられない。

幸せなことは、触って上げられる、葬る体があったこと。
撫でて欲しかったんだと思います。そばに居たかったんだと思います。

心からご冥福をお祈りいたします。

春紫苑
春紫苑
2006年9月1日6:00

どのような命も捨てられる様な物はない。
猫は鄭和(呼び捨てで悪い)を選んだのです。
縁とは不思議なものです。
どのような過酷な状態であろうが。猫は幸せであろう。何故なら私が苦しんだ時に感じた様に鄭和は優れている。その魅力があるのであろう。
文字は人の命も奪う。それと同時に勇気も与える。
思い出は色褪せずに残ります。
心よりご冥福をお祈りいたします。
そして、今までありがとうございました。

nophoto
ニックネーム無し
2006年9月1日13:03

死を受け入れる方法として宗教としての葬式があります。
家族だったのなら、あなたの家の宗教に基づいて、葬式をしてあげてください。
そうすることによって、みんな死の悲しみを乗り越えてきてるのですよ。
死に対してどうすればいいのか、わからないから苦しいのであって、死に対して手順をふんでやれば、愛猫の喜んでる顔を思うことができるようになってくると思います。

私は、そうやって乗り越えました・・・(T_T)

nophoto
ニックネーム無し
2006年9月1日18:28

私の家にも19歳になる猫がいます。
最近めっきり痩せて弱ってきてます。
でもまだ食事もできるし、動けるので今年はもちそうかなー。
鄭和さんの猫のご冥福をお祈りします。

nophoto
ニックネーム無し
2006年9月2日12:53

家の猫は去年の夏に糖尿病なってしまい、
1日2回のインシュリン注射が必要になってしまいましが、
今でも元気です。
かまって欲しい時には鳴くかわいい猫です。
病気に負けずにいつまでも元気でいて欲しいな〜
とここを読んで改めて実感しました。

心からご冥福をお祈りいたします。

nophoto
ダルシム
2006年9月2日20:31

ヨガ・ファイアー

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