触発されて、私も過去のDOLでの私掠プレイについての思い出を、少々書き流して見たいと思いました。思い出といっても、出来事についての記憶はほとんど忘却の彼方なので、当時の私がどういう「思い」で私掠RPをやっていたのか、そこに触れてみたいと思います。

 私の私掠RPのモデルは、史上の人物であるところのフランシス・ドレイクでした。勿論ドレイクといっても、人によっていろんなドレイク像があると思いますが、私の中では「敵から奪った財宝をイングランドの国庫に納めその財政を救った。プリマスの市長になったり、アルマダ海戦で実質的な指揮官となるなど、公にもイングランドに貢献した」という姿です。
 その姿の後者についてはともかく、前者については私は徹底してその道を追求したと思います。殆どの海賊プレイヤーが、収奪した物品を現地で処分していたようですが、私は宝石や胡椒、艤装など、高く売れる品については、必ずロンドンに持ち帰り、露店で販売するようにしていました(時にはリスボンでも露店を開くなど、かなり挑発的なこともしていたように記憶していますw 奪った挙句に商売の上でも敵から金を得ようとしていたのです)。海賊プレイの中で、如何に稼ぐか。そしてその稼ぎを投資に使うか、が私の最大のテーマであったのです。

 したがって、戦闘は私にとって手段であり、目的ではありませんでした。PKKが迫ってきたときは、私は基本は逃げの姿勢をとりましたし、戦う場合も間違いなく有利、という状況以外ではまずやりませんでした。負けることそのものを恐れたのではなく、負けることによって賞金を払うことになり、金銭上で敵を利することになるのを恐れたのです。こういう私のやり方は、人によっては卑怯に見えたと思います。特にPKKの人にとっては、さぞかし腹の立つ存在だったと思います。
 ただ、それでもなお、私はこのスタイルこそが私掠RPの王道である、と今も思っています。私掠RPとはすなわち、戦争RPでもあります。戦争の目的は戦いに勝つ事ではなく、勝つことによって如何に国家に利益をもたらすか、にあります。利益を得たならば、悪評なにするものぞ、これが私の思いでした。

 こういう私のスタイルを貫くにあたり、もっとも重視したことは何かと言いますと、それは情報です。これは自信を持って言いますが、今も昔も私ほど情報の扱いを重視したDOLプレイヤーはいないのではないか、とさえ思います(今のDOLの状況を知らないので、言い過ぎかもしれませんが)
 私は常時、満員のチャットルーム3つに常駐していました。1つは私が主催していた軍人・海賊ルーム。もう1つは商人ルーム。3つ目はそのつど違っていましたが、大人数が集まる雑談ルームです。
 この中でも、商人ルームは情報収集という点で大変お世話になりました。相場情報の提供は、適切な狩場を設定するにあたって大変参考になりました。また、「リスボンから○○さんとかが艦隊組んでカーボ方面に向かったみたいだよ」という情報など、PKK対策として凄く助かった覚えがあります(PKKは検索にHITしないプライベート設定にしている事が多かったので、本当にこれには助けられていました)こういう情報を元にして、海賊ルームの仲間に声をかけ、襲撃や戦闘、逃走の判断に用いていました。
 また、ルームだけでなく、全く見ず知らずの一般の人にも、不躾に声をかけたりしておりました。いきなりTELLで、「すみません、ちょっとこの海域で検索して○○という人がHITしませんか?」とかお願いしたりしていましたw
 私が今になって振り返り驚くのは、こういう質問にDOLプレイヤーのほとんどの人が親切に答えてくれたということです。他のMMOなら無視されるのがオチなのですが、DOLプレイヤーの民度の高さが伺える事象でした。

 情報収集だけでなく、情報分析も積極的に行いました。
 私の手元には、常に世界地図がありました。そして、私掠に成功するたびにその座標をメモし、敵国プレイヤーの通行ルートの傾向を調べていました。そして的確な襲撃ルートを想定し、遠洋での接敵頻度の向上に努めていました。「なんでこんな外れたルートでやられるの><」という被害者の言葉は、私にとって努力の報いともいえる最大の賛辞でした。
 
 さて、こういう毎日の工夫を紹介するにあたって理解して欲しいのは、私は悪意をもって人の邪魔をしていた訳ではないということです。勿論邪魔はしていたのですが、それは例えば将棋などで王手飛車取りの手を打ったとき、相手は嫌がるだろうと思う訳ですが、そういう意味での邪魔なのです。純粋に、自分のRPの追求でありゲームで勝つという探求であり、成果の確認なのです。
 ・・・・まあ、餌食にあった人に説明しても所詮は私もPKの一人に過ぎなく、無意味かもしれませんが。

 以上、書き出すともっと色々述べたいのですが、とりあえずはこんなところです。書いているうちに過去の場面がいろいろ思い出されてきました。年を取ったと思うのはしゃくですが、思いで語りは楽しいものですw
 ルアンダでの投資合戦やインド・東アフリカの香料交易の襲撃や、様々な事柄が頭をよぎります。そういう話題を語れる人も、今はもうほとんどいないのかもしれませんが、懐かしい思い出を残しておきます。

コメント

バブル部長
2013年9月17日22:20

はじめまして
DOL歴8年・現在もフラフラ航海中のリアル・オッサンです(苦笑)

鄭和さんは航海し始めた頃に脅威を感じた存在(笑)ですが、本文で、当時のその心意気の何だったかを見せてもらった気がします。
もっとも、私達・・・当時リアル息子と艦隊組んでて襲われた時は、何だかんだとシャウトで説明して、逃げ倒した気がします(笑)
結果、見逃してもらったとは記憶しているんですが、冒険船が軍用ジベに追いつかれる~~!と絶叫してたのは確かです。
もっと話を聞かせて欲しいと思いますので、コメントさせて頂きました。

鄭和
2013年9月17日23:17

バブル部長さん>
 寝ようと思ったら早速レスを頂いたようで、ありがとうございますw
襲う側、襲われる側、立場の違いはあるにせよ、どちらにも共通しているのは、振り返ってみるところのスリル、ですよね。どうすれば襲えるか、どうすれば襲われないか、という「追求が面白いのだと思います。
 しかし軍用ジーベックの時代といいますと、本当に初期ですねw 私自身も色々手探りの頃でしたし、経験するすべてのことが新鮮でした。
 それにしても、私は敵性国家プレイヤーに対しては本当に容赦しなかったのですが、それでも逃げられたというのは、普通に私が失敗したか、そちらの逃げ口上が面白かったのかのどちらかだと思うのですがw

バブル部長
2013年9月18日0:21

連投、ゴメンなさい。
先のコメントの後、久し振りに過去の記事を一気に再読させて頂きました。
いや~、当時はアツかったですよね。
逃避成功の件は、父子の嘆願(笑)が届いたというより、鄭和さんがきっと風邪引いてた日じゃないかと確信しますw
そのリアル息子にもこの更新ネタの話をしたところ、あの後はソロでインド往復してて何回も襲われてるよ・・・懐かし過ぎる~との弁でしたから。
「もしも」ですが、インされる機会が有れば、次は鄭和さんばりに色の付いた息子君キャラを是非見てやって下さい。
8年は、確かに長かったです。
オヤスミなさい~

nophoto
おきの
2013年9月20日2:28

鄭和さんお久しぶりです。
突然いなくなってごめんなさい。もう何年前だろう(笑)

海賊になりたい!と思いDOLを始めて、やってみたはいいけど初心者1人じゃ全くうまく行かず、カーボヴェルデで1人で落ち込んでいて、鄭和さんからの突然のTellで水師に誘っていただいたときはうれしかったなー。
技術も未熟で何にもわからない私に鄭和さんは本当に色々な事を教えてくれました。実際に面と向かって言った事ないかもしれませんが、鄭和さんは私の師匠です。出来の悪い弟子で申し訳ありませんでしたが(笑)
鄭和さんと行動を共にして技術や知識も増え、仲間とも出会い、仲間と海賊したり、PKKに勝ったり負けたり、とにかく本当に楽しかったなあ。楽し過ぎて毎日寝不足でしたよ(笑)
言うのが遅すぎますが、鄭和さん本当にありがとうございました。

ちなみにいつも冷静な鄭和さんがたまーに言う変なギャグ。
毎回モニタの前で爆笑してました。特にわかりづらいシモネタが好きでした(笑)
 

鄭和
2013年9月21日11:39

おきのさん>
 本当に何年ぶりでしょうw 懐かしい人にコメントを頂けて大変嬉しく思います。

 当時の私は、何とか私掠商会を盛り上げて、イング全体にも刺激を与えたいと思っておりまして、いろんな人に声をかけていましたが、おきのさんに出会えたことは我ながら大HITだったと思います。その後の5人の固定面子での活動は、私のDOL生活の中でも黄金の一時期でした。おきのさんと同じで、本当に私も楽しかった。あれ以上のことは、DOL以外のMMOを含めても無かったと思います。
 私の方から素晴らしい一時をくれたことに感謝します。

 シモネタギャグは、大抵酔ってた時にポロリと漏れ出たものなんですが、後で素面に戻ったときに一人で赤面してましたw

マサムネ
2013年9月27日0:14

開始当時のイングには勢いがあった。金はないけど志の高い奴らばかりいた。僕は日本語が通じる人は襲われても襲わないというスタイルでしたけどたまに気が向くと船員①の五人艦隊とかは面白くて襲っていたような気もします。国益プレイは面白いですよね。僕はイング人からは手数料を取らないスタイルで船を作っていたので一部の造船屋からは叩かれたりしました。ましてやノン・マクロでカンスターになったのだけが誇りでしたから^^

造船紙がでてきて僕の役割も終わったなあと感じました。

いやはや懐かしいです。

鄭和
2013年9月27日19:26

マサムネさん>
 国益プレイで楽しいのは、集団での一体感や盛り上がりを感じられるところですね。イングにはそういう素地がありました。もちろん、ポルやイスパにもそういう部分はあったようで、相手も盛り上がってくれるほどこちらも楽しくなれました。一度私はポルのPLの人から私設で賞金をかけられましたけど、そういう遊びの中での真剣さが本当に嬉しかった。ずいぶん追いかけられましたけどねw

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