憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認の件
2014年7月1日 ゲーム コメント (2) ご無沙汰でしたが、ゲームの内容ではなくタイトルの通り。
私は基本改憲派でして、その最大の理由は「自衛隊の存在を憲法に明記し、彼らの立場を名誉あるものにするべき」というところにあります。国際的にもあやふやな部分ですから、きっちり「軍隊である」と言ってしまうべきでしょう。もちろん、集団的自衛権の行使の是非など、軍として出来ることや出来ないことなどもきっちりと議論し、併せてそれも盛り込んだ形でですが。災害時の活躍など、彼らは国民のために本当によく働いてくれていると感じています。そろそろ彼らの貢献に報いるべきでしょう。いつまでも日陰者で良い訳がありません。
なお、現状、私は集団的自衛権の件については、もっと専門家の間で議論してほしいと思っています。恐らく、政治的にも軍事的にも高度な内容になると思いますから、一般人にも伝わるようにお願いしたいところです。私はまだ、この件の是非については結論が出ていませんので、色々考えの参考材料が欲しいところなのです。日本の舵取りを考えるとき、日米同盟は非常に重要な要素でしょうが、集団的自衛権の行使が可能となった場合、日米の関係にどのような影響があるのか(基本+に働くのでしょうが、それは日本が負うことになるリスクを考慮して、国益にかなうものなのか?)、様々な角度から専門家の意見が聞きたいと思っています。
とまあ、大雑把に私の状況はこんな感じなんですが、その上で今回の「憲法解釈の変更による・・・」の件ですが・・・。
私はこれについては強く反対します。猛烈に反対です。
現政権に対しては、色々期待もしていたのですが、全くこの件がそんなものを全部吹き飛ばしてしまい、酷く失望しました。
憲法の条文が一字も変わっていないのに、出来ることと出来ないことが、180度変わってしまうなどということが、許されるのでしょうか?
すでに言われていることですが、こんなことがアリなら、政権が変わるたびに憲法解釈の変更がなされうるではありませんか。時代の変化にあわせて、若干追加・修正がされる、という程度ならまだしも、正反対の内容になってしまうということでは、本文よりも解釈の方が優先されるということになってしまいます。言い換えれば、憲法よりも政府の方が強い、ということです。そんなことでは、憲法の存在意義は失われてしまうでしょう。
この件で能天気に喜んでいる人達もいるようですが、今後現政権と違う思想の集団が政権をとったときにこの解釈がどうなるのか、想像してほしいものです。
国際的にも、日本の信用が大きく損なわれてしまうと思います。
過去、我が国は「憲法上の制約があるので・・・」という理由で、諸外国からの要求・要請を断ってきたことがあると思うのですが、今回の政府のやり方は「いや~、前はできないって言ってたんですけど、実はできるんですよ~。前に言ってたことが間違いだったんです」と世界に対して言っているようなもので、こんな国、世界は信用しますかね?
私が許し難く思うのは、この程度のこと、法の専門家である政府の政治家達には、分かっているはずで、彼らはそれを承知の上でこんな無法を通そうとしている点です。圧倒的多数の有利な状況に驕っている、と言われても仕方がないでしょう。彼らにも国を憂う気持ちはありましょうが、だからといって何でも許される訳ではないのです。
改憲の為のハードルが高すぎて、激しく変わる世界情勢に改憲を待っていたのでは対応できないからやむを得ない、という意見もあるようですが、それならまずは96条から始めるべきでしょう。「急いでいるから手続きは無視」なんてこと、常態化したら国として終わりだと思います。
現状の憲法の成立そのものに疑義があるので、制約も無視してかまわない、という暴論もあるようです。こんな意見、日本の戦後政治の全否定で、全くお話にならないと思います。これでは今まで憲法前提で決めてたことが、みんなパァじゃないですか。
色々言いましたが、私は集団的に自衛権の行使を可とするなら、そのためには改憲が絶対に必要だと思います。長い目で今後の我が国を見たとき、現政権は国のあり方を危うくしてしまうような致命的な間違いを犯してしまったのではないか、と危惧しています。
前回選挙に行き、現与党に投票した人は、こんなことも認めて投票したのでしょうか。少なくとも私はそうではありません。
私は基本改憲派でして、その最大の理由は「自衛隊の存在を憲法に明記し、彼らの立場を名誉あるものにするべき」というところにあります。国際的にもあやふやな部分ですから、きっちり「軍隊である」と言ってしまうべきでしょう。もちろん、集団的自衛権の行使の是非など、軍として出来ることや出来ないことなどもきっちりと議論し、併せてそれも盛り込んだ形でですが。災害時の活躍など、彼らは国民のために本当によく働いてくれていると感じています。そろそろ彼らの貢献に報いるべきでしょう。いつまでも日陰者で良い訳がありません。
なお、現状、私は集団的自衛権の件については、もっと専門家の間で議論してほしいと思っています。恐らく、政治的にも軍事的にも高度な内容になると思いますから、一般人にも伝わるようにお願いしたいところです。私はまだ、この件の是非については結論が出ていませんので、色々考えの参考材料が欲しいところなのです。日本の舵取りを考えるとき、日米同盟は非常に重要な要素でしょうが、集団的自衛権の行使が可能となった場合、日米の関係にどのような影響があるのか(基本+に働くのでしょうが、それは日本が負うことになるリスクを考慮して、国益にかなうものなのか?)、様々な角度から専門家の意見が聞きたいと思っています。
とまあ、大雑把に私の状況はこんな感じなんですが、その上で今回の「憲法解釈の変更による・・・」の件ですが・・・。
私はこれについては強く反対します。猛烈に反対です。
現政権に対しては、色々期待もしていたのですが、全くこの件がそんなものを全部吹き飛ばしてしまい、酷く失望しました。
憲法の条文が一字も変わっていないのに、出来ることと出来ないことが、180度変わってしまうなどということが、許されるのでしょうか?
すでに言われていることですが、こんなことがアリなら、政権が変わるたびに憲法解釈の変更がなされうるではありませんか。時代の変化にあわせて、若干追加・修正がされる、という程度ならまだしも、正反対の内容になってしまうということでは、本文よりも解釈の方が優先されるということになってしまいます。言い換えれば、憲法よりも政府の方が強い、ということです。そんなことでは、憲法の存在意義は失われてしまうでしょう。
この件で能天気に喜んでいる人達もいるようですが、今後現政権と違う思想の集団が政権をとったときにこの解釈がどうなるのか、想像してほしいものです。
国際的にも、日本の信用が大きく損なわれてしまうと思います。
過去、我が国は「憲法上の制約があるので・・・」という理由で、諸外国からの要求・要請を断ってきたことがあると思うのですが、今回の政府のやり方は「いや~、前はできないって言ってたんですけど、実はできるんですよ~。前に言ってたことが間違いだったんです」と世界に対して言っているようなもので、こんな国、世界は信用しますかね?
私が許し難く思うのは、この程度のこと、法の専門家である政府の政治家達には、分かっているはずで、彼らはそれを承知の上でこんな無法を通そうとしている点です。圧倒的多数の有利な状況に驕っている、と言われても仕方がないでしょう。彼らにも国を憂う気持ちはありましょうが、だからといって何でも許される訳ではないのです。
改憲の為のハードルが高すぎて、激しく変わる世界情勢に改憲を待っていたのでは対応できないからやむを得ない、という意見もあるようですが、それならまずは96条から始めるべきでしょう。「急いでいるから手続きは無視」なんてこと、常態化したら国として終わりだと思います。
現状の憲法の成立そのものに疑義があるので、制約も無視してかまわない、という暴論もあるようです。こんな意見、日本の戦後政治の全否定で、全くお話にならないと思います。これでは今まで憲法前提で決めてたことが、みんなパァじゃないですか。
色々言いましたが、私は集団的に自衛権の行使を可とするなら、そのためには改憲が絶対に必要だと思います。長い目で今後の我が国を見たとき、現政権は国のあり方を危うくしてしまうような致命的な間違いを犯してしまったのではないか、と危惧しています。
前回選挙に行き、現与党に投票した人は、こんなことも認めて投票したのでしょうか。少なくとも私はそうではありません。
コメント
先程も妻と自衛隊だからダメなんだ、名称はなんでもいいけど大日本帝国軍にして戦争もするぜ! 憲法解釈がどーとかいってるなら解釈じゃなくて憲法の条文から変えりゃいいんだよ。東大とか出てるインテリどもがなにをチマチマやってるんだ? 大丈夫か?この国は?と話していました。 ま、ぶっちゃけて言うとアベちゃんも周辺諸国へ配慮した上でのギリギリの圧力をかけた上でこちらの手に乗ってきたら「やるっていったからやるかんな!」という道を歩むんでしょうね。と僕は個人的に思っています。 鄭和さんも僕の知り合いのブログ脳外科医さんも実にわかりやすく明快に文章を書かれる。 読みやすい文章を書けるというのはとても素敵なことです。
お久しぶりです。ネットの方では、私のような意見はそこそこ見かけますね。しかし、おっしゃる通り大手のメディアにはあまりみられないように思います。行使の是非、戦争ができる国になった、などなどそういう話ばかりです。結果も重要なのですが、このようなことになってしまったプロセスの方にこそ、真の危機があるはずなんですが・・・。
本文でも太字で述べましたが、原文が変わってないのに結論が真逆になってしまったら、そこには絶望的な2択しかないのです。つまり、憲法の真意がいかなるものかという解釈について「今までが間違っていた」のか「これから間違うのか」ですね。